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「ここで生きていたい」そう思わせる引力が浦幌町にはある!日本一周した男が語る魅力

ぼくと浦幌の関わり

「おかえり〜!」

日本一周の旅を終えて2年ぶりに浦幌を訪れたとき、町のみんなの一言目からは、家族のようなあたたかさを感じました。
こんにちは!歩いて日本一周男、令和の伊能忠敬こと、平井佑樹(25歳)です。
大学を卒業したのち就職をけっとばして歩いて日本一周をはじめ、2年8ヶ月1万1609kmを歩き、ついに2024年1月20日に達成しました。

2年8ヶ月かけて歩いて日本一周達成。ゴールの東京駅にて

旅の途中、2021年の11月から翌年3月までの5ヶ月間、北海道の東、帯広と釧路のちょうど真ん中にある町、ここ浦幌町で暮らしていました。
北海道の冬を歩く力もなく、見切り発車で飛び出した旅だったため資金も乏しい、そんな理由から一冬を浦幌で越すことになりました。
新聞配達や木材の加工、炭窯でのアルバイトで旅の資金を稼ぎ、他の時間はゲストハウスのお手伝い、町の人とワカサギ釣りにいったりスノーモービルをしたりと楽しい時間をすごしていました。平和な日々だったな〜!

農家さんに誘われてスノーモービル

47都道府県全てを歩き、たくさんの人や土地の文化にふれて改めて感じたことは、やっぱり浦幌は住みたくなるほどに魅力があるすばらしい町だという事でした。
今回は、旅人の自分、都会で育った自分、そして浦幌で暮らしてみた自分、色んな視点から感じた浦幌の魅力を話していきたいと思います。

日本を巡り終えて、改めて感じる浦幌の魅力

展望台からみる町内

浦幌の魅力は、景色がいい!名物がある!といった観光地のようなものではなく(もちろんすばらしい景色も美味しいご飯もたくさんありますが)、町民と会話したときに気づく新しい物の見方とか、生活のなかで見つかる小さな幸せとか、自然が生み出す一瞬の美しさとか、そんな優しい日々に隠れているものに気づける場所であり、幸せに生きていくための土台が揃っている地域なんだと思います。
そしてその魅力の根っこには「ひと」がいます。

「ひと」のあたたかさと優しさの距離感

競走馬に重いソリを曳かせ、パワーと速さ、持久力を競うばんえい競馬のばんえい馬を育てる、北村さんご夫妻。よくお家や牧場へ遊びに行きました

自分が訪ね歩いてきた町の中でも、浦幌は人同士の距離感が心地よく感じました。
それぞれが自分たち個人の生活を大切に守りながら、余力で助け合って生きている。必要以上に踏み込まず、困ったときは手を差し伸べ合う、そんな土地でした。
日本の南に行けば行くほど、他人同士でも一緒に暮らしているような、家族のような近い距離感で生活していました。
逆に北海道の人の距離は、遠くから見守っているようなものでした。そこには、開拓の歴史から生き延びるための切実な助け合いの文化が残っているのかもしれません。

そのことを町の農家さんに話すと「確かにそうだな〜。助けてって言われて、困っていたら助ける。でも、そうじゃないなら何もしないな」とのこと。
切り取ってしまえば冷たくも感じる言葉から、個々を尊重しながら北海道の厳しい自然のなかで生きてきた力強さと優しさを感じ、魅力的に思えました。

浦幌でお世話になったご家族との再会

滞在中は、ワカサギ釣りに行ったり、バーベキューをしたり、スノーモービルをしたりと家族ぐるみの遊びにまぜてもらうことも多く、違和感なく家族の輪に入れてもらえる、他者を受け入れるあたたかさも感じました。
田舎で時々感じる、よそものに向けた警戒する視線(平和に生きていくためには、それも仕方のないことなのだと思います)を感じなかったことも新鮮でした。
よく考えたら北海道の歴史は約150年。三世代遡れば、みんな開拓のために移り住んできたよそものですもんね。

 「浦幌っていいでしょ〜!」と言えることは、なによりも素敵なこと!

自転車で農家さんに会いにいく途中

旅先で何度も言われることに「この町、なんにもないでしょう」という言葉がありました。でも、浦幌の人たちは「浦幌っていいでしょ〜!」と笑顔で話すんです。
町として、共同体として、とても大切な誇りを浦幌の人たちは持っている。自分が「素敵!」そう思えないものを守ったり、好きでいることって難しいもの。
町が好きって、大切な町おこしなんだなと思います。

高校は無くなってしまったし、電車の本数は少ないし、無いものを挙げればキリがない。それでも浦幌町には、ここにしかないものがあります。
浦幌の大人は、浦幌だけの光に目を向けて、「いいでしょ〜!」と話してくれます。

炭焼き職人によってずっと守られてきた伝統的な技術や製造方法で木炭を作っている、浦幌木炭を使って十勝名物の豚丼を調理する様子

横浜育ちのぼくからしたら、湧き水があって、温泉があって、顔の見える農家さんがいて、自然が美しくて、「なんて幸せな場所なんだろう!」って思うんです。
それを伝えたときに、「そうでしょ〜!」と言ってもらえる町はもっと好きになっちゃいますよね。

チャレンジを応援してもらえる環境

浦幌には人を応援したり若い世代から盛り上げていく文化があります。

・94年続いた浦幌町のお蕎麦屋さん「かし和家」を浦幌育ちの若者が20歳で事業継承。
・2021年にはゲストハウス「ハハハホステル」が町の空き寮をリノベーションしてオープン。
・浦幌に移住してきた若者が町の議員として当選。
・2023年にはカフェや本・雑貨を扱う複合施設として金物店の跡地に「トリノメ商店」がオープン。
・24年の夏には、トリノメ商店の施設内にクラフトビールのブルワリーもオープン予定。

これだけの動きが、たった人口4,100人(R6.7.31現在)の町で起こっているんです。そして、そこに人たちが集まって応援し、新しい挑戦が動きだす。

自分のことで言えば、いきなり「働かせてください!」と訪ねていった新聞店で働かせてもらったり、「狩猟に同行したいです!」と連れていってもらったり、「帯広にいくの?私たちも行くから乗ってくかい?」と相乗りさせてもらったり、いろいろな形で助けてもらいました。

狩猟に同行したときの写真。車を降りると、鹿の足跡が山へ続いていくのを見つけた。追うようにぼくたちも静かな山に入っていく
目の前で撃たれた鹿の肉を持ち帰り自分で料理。死後硬直で硬かったのがリアルでした

覚悟を決めてやっている人、行動を起こしている人たちがしっかり応援してもらえる町が浦幌なんだと感じます。

浦幌の楽しみかた、すごしかた。

ばんえい馬に会いにいく。訪れた前日に生まれた子どもとお母さん

語り尽くせない浦幌の魅力の一部を語りました。素敵な町でしょ〜!
ここからは、実際に浦幌に行ったときにどうやってすごすか?のおすすめをご提案!

いろいろな大人に会いに行って、話してみる。

じゃがいもや玉ねぎを育てている農家の橋枝さん。教員免許も持っていて、仕事しながらたくさんお話ししました

まず、「面白そう!」そう思ったのなら「やってみたいです」と言葉に出してみる。
先述したように、浦幌にはハハハホステルというゲストハウスがあります。ぼくもハハハを拠点に暮らしていたのですが、そこから広がっていくご縁がたくさんありました。

ハハハに遊びに来た神社の方と仲良くなって、掃除のお手伝いをしたら宴会に混ぜてもらったり、オーナーの小松さんに狩猟に同行してみたいと話していたら、連れていっていただけることになったりと、自分のアクションが新しい出会いと経験にどんどん繋がっていきました。
口に出したやりたいことをちゃんと拾ってくれる懐の広さがありました。

焼き上がった炭を運び出すために炭窯に入ると、舞っている炭の粒子を吸い込んで鼻の中まで真っ黒に。木炭バイト記念の一枚

もう一つ印象的な出会いとして、浦幌町で出会ったとあるご夫婦は、バイトで生活費を稼ぎ、絵やアートを作って暮らしていました。
生活に必要なだけのお金を稼ぎ、あとは自分たちがやりたいことをする。
とても楽しそうに豊かに暮らしていて、「ああ、こんな生き方もできるんだ」と世界が広がりました。
人に会えば会うほど、生き方の選択肢は無限にあることを知るし、どんな学歴だって人生だって、自分の力で進んで行けるんだと勇気づけられました。

アルバイト、職業体験をしてみる

原木を角材や板材等に加工する製材や、木材チップの製造・販売を行なっている木下林業でのアルバイト。加工された木を運んで積んで。運んで積んで

さらに一歩踏み込んで、アルバイトや職業体験をしてみることもおすすめです。
特に春や夏の時期なら短期の農業バイトがあるし、同じ時間を過ごすことで広がるご縁があります。
生活費を現地で稼ぐスタイルは、負担も少なく若者や学生に人気でした。

ぼくもハハハホステルのお手伝いをすることで滞在費と生活費を浮かしながら、野菜は貰い物を食べたりして、支出がほとんどない暮らしをしていました。
この経験は、幸せに暮らすために必要なお金って本当に少ないんだと知るきっかけになりました。

大雪の新聞配達は、自転車ではなくまさかのソリ

ぼくが経験したアルバイトは、林業、新聞配達、木炭、農業、エアコンの取り付けなど。やれることはなんでもやりました。
毎日やっていたのは、朝の新聞配達と日中の林業(木材の加工)です。
あとは人手が足りないときに声をかけてもらって、お手伝いをするといった感じでした。

仕事探しで相談させてもらったのは、ハハハホステルのオーナーの小松さん。
ぼくが浦幌を初めて訪れた翌日に、一緒に製材会社までついてきてくれて、お仕事が決まりました。新聞配達は憧れもあって、アポなしでここで働かせてもらえませんか?と突撃しました。(「千と千尋の神隠し」か!)

新聞配達で雇ってくれた桑原新聞店の桑原さん。朝ごはんをよく作ってくれました

今はお仕事の情報がまとまった「つつうらうら」という情報サイトがあるので、気になる会社・お仕事があったら連絡してみるのもいいと思います。
まずは行動を起こしてみる。自分が興味があること、どんなすごし方がしたいかを出会った人に伝える、相談してみる。滞在中に大切にしていたことでした。

豊かな生活を実現する。

ハハハホステルオーナー小松さんの息子さんと

ここまではアクティブな滞在を提案しましたが、のんびりとした時間を楽しむのもおすすめです。
ぼく自身、「なんて平和な暮らしなんだろう」と感じながら浦幌での毎日をすごしていました。
都会は情報に溢れていて欲求が刺激されます。生活習慣も乱れがちになるし、日々のストレスも多い。自分の生きるペースを作るのが難しい。
日本一周を終えて東京に帰ってきたときに強く感じたことでした。

冬の森林公園を歩く

浦幌でのぼくの生活は、朝起きて凛とした冷たい空気の中を散歩する。町の直売所に行って知っている農家さんから野菜を買って食事を作る。
自分がバイトしている木炭屋さんの炭を使ってバーベキューをする。温泉に行って帰りのバスで口を開けて居眠りする。
夜にストーブの火に当たって薪の爆ぜる音を聞きながらアイスクリームを食べる。どれもこれも、すごく贅沢な時間でした。

薪ストーブの火に当たりながら、ゆっくりとすごす冬の夜

ゆっくりと羽を伸ばすようにすごすだけでも、すばらしい時間になります。
都会の喧騒から離れたい、自分の人生を見つめ直したい、そんな方にも浦幌でのゆったりと流れる生活はおすすめです。

心に残っている言葉

旅を再開して歩いていたとき、素敵なニュースが届きました。
それは浦幌でお会いした井上亨さんが町の町長に当選したということでした。
亨さんとは何度かお会いしてお話ししたことがあり、日本一周のことをとても褒めてくださいました。

地元の人が集まる居酒屋さんで亨さんに偶然お会いしてお話をしたときです。
「君にはやりたいことがあるの?なんでも叶えられる町にするよ!」
そう亨さんは力強く言ってくれました。ぼくはカッコつけて、「自分で叶えたいんです」なんて返してしまったのですが、その言葉は深く心に残っています。

町に勤める職員だった亨さんが選挙に出馬すると決まるずっと前から、ふらっと町を訪ねてきた若者にそんな言葉を言えるなんて、そして、その人が今浦幌町の町長に選ばれているということが、浦幌という町の素敵な未来の証明なんだと感じました。

最後に

ハハハホステルでの1枚。左からハハハホステルスタッフありささん、ぼく、オーナー小松さん、十勝うらほろ樂舎の詠風さん

浦幌を去る前の感情は、「ぼくも浦幌町の仲間になりたいな〜!」そんな、シンプルなものでした。
大きな火をみんなが囲んで楽しそうに踊っているキャンプファイヤー。それを見たら一緒に踊りたいと思うじゃないですか。遠くから眺めるんじゃなく、その炎の熱さも、踊りの一体感も、流れる汗も、踊ってみないとわからないものがある。

肉牛を育てる上出さんに斧の使い方を教わりながら、みんなで薪割り

浦幌町に移住する人の気持ちがすごくわかります。
一緒に足を深く突っ込んで「ここで生きていきたいな」と思わせてくれるものが浦幌にはあるんです。
やっぱり楽しそうだし、実際に楽しいから、自分が浦幌で生きていく未来を考えられるんだろうな〜。

浦幌町は、何度も訪れたくなる優しくてあたたかい、ぼくが持っていなかった故郷みたいな町です。
ぜひ、訪れてみてください。この記事が、あなたが浦幌町に関わる一歩となったら嬉しいです。
ありがとうございました!

滞在中、何度も遊びに行った昆布刈石の海岸線

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